病気が見つかりました

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A stroke or a brain attack. occurs when something blocks blood supply to part of the brain or when a blood vessel in the brain bursts. In either case, parts of the brain become damaged or die.

久々すぎて、書き方も忘れてしまったけれど、人生の大きな節目にいて、これは書いておかなければと思ったので、今回の入院について書いていきます。

救急車事件

2024/2/27(火)
中高生のダンスレッスンで週末の発表会に向けて振り入れ中、もうそろそろ終わりの時間になって少し焦っていた20:50頃、体がゾワゾワっとして、眩暈というか力が入らない感じで座り込む。貧血にしては、ちょっと様子が違うかも、声を出そうとするけどうまくしゃべれない。やっと出た言葉で伝えたことは、「先生ちょっと調子悪い、救急車、電話して」。生徒もただ事ではないとすぐ理解してくれて、施設の内線電話で伝えてくれた。たまたまお迎えに来ていた保護者もすぐに駆けつけてくださって、施設の対応もスムースだったお蔭で、10分もしないうちに救急車が到着。

多少自分自身もパニックだったけれど、救急車がつく頃には、呂律も回るようになって、気持ち悪さも減っていた。大丈夫かも?大げさだったかな?と、思うくらいではあったけど、症状を伝えると救急隊員の方も、これはすぐに搬送と思ったようで、近くの総合病院に運んでくださった。救急車の中で、家族に連絡。車で出勤してたので、夫に連絡しても迎えに来られないだろうことと、たまたまその日、夫が体調を崩していたので、実家に連絡することに。父親につながったけど、毎晩晩酌していることをすっかり忘れていた。母は運転できないし、あら、迎えに来てくれる人がいない。どうしよう。救急車の中ではすでに帰りの心配をしているぐらいには元気だった。父がとにかくどうにかすると言ってくれて、電話は一旦切れる。あぁ、やっぱり救急車呼ぶほどではなかったなという少しの後悔と、申し訳なさ。でも相変わらず左側が痺れているような気がする。そしてよくわからないけど胸と背中が圧迫されているような感じで痛い。

救急車は10分もしないうちに病院に到着。運が良かった。症状が出てから30分もたたないうちに救急でみてもらえた。到着してすぐMRIの検査。多くの医師と看護師でごった返している救急病棟。なんか本当に元気なのにごめんなさい。到着してすぐはそんな感じで、看護師さんとも「いつもこんなに忙しいんですか?すみません。」みたいな会話をしていたと記憶している。結果がでるではしばらくたわいもない会話をして、忙しそうな病院の音を聞いていた。

どっきりなのでは!?

数十分たって、そろそろ結果もわかって追い出されるかな?と、帰り方の心配をしていた頃、私の周辺があわただしくなる。いろんな先生が挨拶しに来る。「脳外科の●●です。もう少し詳しく調べる必要があります。」いやいや嘘でしょ。と、またまた~ってなテンションでいると、次から次へと人が来て、服は脱がされるは点滴入れられるは質問攻めになるはで大変。尿道カテーテルを入れられた時には衝撃過ぎて、本当に悪い冗談かと。一刻を争う感じだったので考えている間もなく、そのころ両親も兄の運転で病院に到着していて、母親は私の手を握る。おいおい死なないから(笑)。そのぐらいの危機感で手術室に。聞かれたことは血圧とかコレステロールとか、持病とか、後、煙草吸いますか?を10回ぐらい聞かれた。吸わないって言ってるでしょって。

「精密検査をしてみて、悪ければそのまま手術になる可能性がある。」と言われ、実父母が書類にサイン。とても心配そうだ。え?これってそんなにやばいやつなの?と、多少私も不安になる。このまま死ぬのか…。それはそれでまぁいっか。意外とそんな感じ。普段からやりたいことはやっていたし、いつ死んでも良い生き方をしているので、その辺は特に。息子のお嫁さんや孫が見たかったなぁぐらいなもんで…。生きてたって見られるかわからないしね。とか、手術室では考える余裕があった。

手術室で精密検査『帰れますか?』

右足の付け根からカテーテルを入れて脳の血管を検査。全身麻酔と思いきや、部分麻酔。右手も左手も点滴されたうえ、両手の拘束。手術室には男性しかおらず、ごめんねぇと言われながら、いえ、こちらこそ深夜にごめんなさいってな感じで、ゆるく会話をしながらの検査でした。足の付け根から脳まで管を通すって、すごくないですか?しかも意識がある中で。本当に医学の進歩にはびっくりです。

ちょっと気持ち悪くなるかもしれません。と言われつつ、じわーっと頭が熱くなる感じだけで、まったく痛くもかゆくもなかったですが、左手の点滴がやたら痛かったです。一通り検査が終わって大丈夫ですか?と言われたときに、大丈夫なんですけど、左手の点滴が痛いです。と伝えたら、お医者さんが慌てて「ごめんなさぁい、これは痛いね。入ってなかった。」と。どうやらちゃんと血管に刺さってなかったみたいで…。おい。そのお陰か検査は何も痛みなく終了。画像を見ながらお医者さんが説明してくれました。結論すぐに手術の必要はないとのこと。こちら側の血管が映ってないのわかりますか?「ほんとだ」、ですが、このもやもやっと新しい血管ができていて、血流は確保できていそうなんです。と。が、そんなことより私はいつ帰れるのかが、気がかりで。質問あります?って聞かれて、「帰れますか?」と。「2週間は入院ですね。」…「は?無理です。仕事が。どうしても週末には帰りたいです。」「うーん、最低でも3日は入院です。」…死んだ。違う意味で。運動とかってできますかね?来月末に全国大会があるんですが。聞く方も聞く方ですが、それはちょっと厳しいかもしれないですねぇ的な回答。そっか、私は病人になってしまったのか。と少々絶望。

4日後の土曜日に開幕と発表会が控えていて、そこに向けての準備が出来ていない中での入院。いろいろ無理過ぎて、自分自身の体調よりも仕事の心配が先でした。さっきまで死ぬかもと思ってたのに。

救急病棟で一泊

深夜2時ぐらいに救急の病室に戻って、実父母もタクシーで帰ると、帰っていきました。あー、そういえば夫に連絡していない。深夜だし通じないだろうな。朝私がいないことに気づかずに出勤したら、息子が困るだろうなぁ。そんな現実に引き戻されて、全然寝られる気がしませんでした。患者さんのうめき声や、看護師さんが患者さんを呼ぶ声で、一晩中静かになることはなく。意識もはっきりしてて元気なのは私ぐらいだろうな。相変わらず点滴でつながれて、尿道カテーテルはそのまま。絶対安静で動かない様に言われていたので寝返りも打てず腰が痛い。左の手足がしびれているのが腰のせいなのかどうなのかわからないし、思えば少し気持ちが悪い気もする。若干の片頭痛。ほぼ一睡もせずに朝が来た。

看護師さんに許可を得て、夫に連絡。朝連絡がつき、仕事を休んできてくれることになった。実父母も連絡してくれたらしい。仕事先に車を置いてきたことや、息子の学校の準備のこと。何が必要かとか、体調不良の中、さすがに私の心配をしてくれて、今日の面会時間には病院に来てくれることになった。すまん。

各所に連絡と月末の仕事

2/28(水)

朝ごはんの美味しいこと。あたたかい白米におかずが3種類ぐらい。あたたかいお茶もついて、なんて贅沢なんでしょう。一晩のうちに天変地異が起こって、まだ状況が把握できてないけれど、現実は押し寄せてくる。連絡しなければならないところがたくさんある。よくよく順序を考えて関係者に連絡。レッスン中に起こったことなので、まずはそこの関係者に。車を置きっぱなしにしているけれど、今日夫が取りに行くこと。そして仕事の調整。今日の仕事の代行を立てることと、明日以降の仕事をどうするか。そして開幕と発表会…。うう。少なくとも今日明日動ける感じではないことを各所に伝える。連絡をしていたらあっという間に時間が過ぎる。救急の病室から、脳外科の病棟に移って引き続きいろんな検査をする。

病棟の中で、かなり軽症な私は検査の時間以外は病室でほぼほぼ独りの時間が多く、とにかくできる限りの仕事をやる。今年がうるう年でよかった。2月は明日まである。月末の事務作業があったので、できることはやって、無理なものは後輩に頼んだりして。

美味しいお昼ごはんに、ついつい「美味しい」の独り言。こんなにちゃんとした健康的な食事を味わって食べるのも久しぶりかも。そんな食生活してるからこうなるのよ(笑)。午後になると夫が実父母と面会に来てくれた。いろいろ差し入れを持ってきてくれた。昨年脳梗塞で長期入院した母。義母もほぼ同時期に脳梗塞とガンで闘病したので、夫もいろいろわかってくれていて、ほぼ完ぺきに荷物を持ってきてくれた。私が案外元気なことにほっとしたようでしたが、病名も検査結果も良くわからない状態で、とにかくゆっくりするようにとくぎを刺された。

幸福な日々

誰がみても明らかに働きすぎだった。家にもほとんどいなかったし、これといった休みもなく、朝出て夜中に帰る生活が続いていた。それが普通だと思っていたから、まったく苦痛ではなったし、むしろ充実した日々最高!ありがとう!状態だった。ただ正直ストレスはあったかな。仕事にいつも追われていたし、中堅の板挟み的な調整や人間関係のいろいろ。2023年は一緒にずっと働いてきた仲間が退職して、より仕事量も増えていた。このぐらい大丈夫といつも自己暗示をかけていたけど。ベルトコンベアーで運ばれてくる仕事を次々と片づけているような毎日だなとは薄々感じていたけど、愚痴を言って仕事が減るわけじゃないしね。

それでも、ある程度のトラブルやミスは気にせず、連絡はなるべくスルー。無理せずできることをできる範囲でと調整してやっているつもりだった。選手としての大会出場にも挑戦。《好きなことやっているんだ暗示》もかけつつ、夜に練習が終わって、サウナに行って、軽めのお酒を飲んで寝る毎日。なんて幸せな毎日なんだと思ってたし、友達や保護者に、忙しいね。大変だね。と言われても、「好きなことやってますから」と、笑ってた。私も不死身ではなかったんだと、こんなことになって、だんだんショックが大きくなっていく。

退院の日が決まって

2/29(木)

2日間いろんな検査をした。車いすで看護師さんに連れて行ってもらって、検査の先生方もみんな優しくて、いろんな病状の人たちを目の当たりにして、こんな毎日を過ごしている人たちもいるんだなぁと改めて健康って有難いんだと思い知らされた。尿道カテーテルもとれて、一人でトイレに行けるのはうれしかった。少し頭痛があるぐらいで、一人で立ち上がって歩くこともできたし、ごく順調。脳血流(IMP)シンチ検査が一番重要だったみたいだが、検査自体は痛みもなく短時間で終了した。

ただ、本当に看護師さんたちが忙しすぎて、検査が終わって病室に帰るのに、私の存在を忘れられて1時間ぐらい車いすで放置されるアクシデントはありました。あぁ、きっとあの看護師さん、私のこと忘れてるなぁと思いながら、別に急ぎの用があるわけでもなく、忙しそうだしまぁいっかと、だまーって待ち続けました。違う看護師さんが気づいて謝ってくれましたが、「あ、別に大丈夫でぇす」ってな調子で(笑)。午後になるとまた家族で面会に来てくれて、足りないものを持ってきてくれた。本当にありがたい。心配してくれる人がたくさんいる私は幸せだなと。

検査の結果、脳内の血流が問題ないとわかり、早期退院を許可されました。通常が10だとして8.9はあるということでした。言われても良くわからないけど、8を切るとダメらしい。明日退院だ。自分が望んだことではあるけれど、退院が決まったとたん急に不安になる。水分をしっかりとってすぐここに来られる場所にいて下さいと言われて、え?どういう感じ?ってなことで。普通に動くとどうなるの?って、何がダメということでもないらしく、何が良いとも言い切れぬ的な?困る。

お医者さんにとめられることはありませんでしたが、社長からNGが。こっちはやるから、大人しくしていなさいと。退院はしてもすぐに現場復帰ということではないのか、まぁそっか。この数日で目まぐるしく変わっていく生活状況に私自身が一番ついていけてない。最低限今できることは文字と絵と動画で指示したけれど、限界はある。ここはみんなに甘えて今は大人しくしていよう。なら、もう少し入院していても良いのではとも思ったけれど、仕事の次に心配なのは入院費用。検査も高額って書いてあったし、あんなカテーテル検査したらそりゃ高いよね。

改めて何の病気なん?ってなって、いろいろ自分なりに調べたけど、調べれば調べるほど、やばいんじゃねってなって、病む。右の中大脳動脈が映ってない。でも血流はあるから大丈夫ってなんやし。おそらく遺伝で、ここから何もないこともあるし悪化することもあるから、生涯服薬と経過観察が必要だと。おう。相変わらず左側の若干の痺れと感覚異常。でも、ずっとこうだった気もする。気持ちが悪いけど、たぶん薬の副作用。薬飲まない方がいいのでは?とも思ってしまうけど、そこはお医者さんの言うとおりにしよう。

退院の日

3/1(金)

周りの患者さんに比べれば極々元気で健康で、朝少し気持ちが悪くなったけど、特に入院していてもできる治療がないことを改めて説明され、薬をもらって昼前に病室を出ることになった。

迎えも呼ばずに大量の荷物を持って病室をとぼとぼ出る私。え?出口まで送ってくれるとかないんだ。って、なんだか寂しい気持ちになりつつ、なるべく迷惑をかけまいと、独り帰路につく。入院費は後で自宅に請求書が届くらしい。払えなかったら帰れないかなぁなんて心配してたからよかった。これから私はどうなるんだろう。ってか普通じゃない?とか、いろいろな感情が渦巻く中、バスで帰宅。

入院中も仕事の連絡は止まることがなく、行った方が楽だし早いと思いつつも、こんだけ迷惑かけてて、これ以上また迷惑はかけられないと思いととどまる。病人なんだと、自分に言い聞かせて、でもやっぱりちょっと調子は悪くて、気持ち悪いしなんとなく身体に違和感がある。なんとか自宅にたどり着くも、やはり元の身体ではないんだなと。薬の副作用もあるし、何よりメンタルを正常に保つのが大変で、この先が予測できなさ過ぎて不安で仕方がなかった。

二ヵ月経過

あれから2か月。思い出せる限りで書いたけれど、もうだいぶ忘れてしまっていることが多い。人間は忘れるという特技があってよかった。本当にいろいろ悩んだけれど、結論悩んでもしょうがないよね、ってこと。現場の仕事はほとんど若いスタッフが引き継いでくれて、私がどうしてもやらなければならない仕事はほぼなくなった。それだけでだいぶ気持ちが楽だ。これから先どうなるかはわからないし、症状が0になったわけではないから、完治はないのだと心得ているけど、だからと言って気にしすぎて何もやらない人生では意味がないから、できる限りのやりたいことは我慢せずにやっていこうと思う。

仕事を減らしていくことや、現役を引退すること。いろんなことが良いタイミングだったのだと思う。こんなことでもない限り、すぐにできることではなかったから。なるべくしてなったのだと今は思えるし、感謝すらしている。後は、いかに健康寿命を延ばすか。1日1日大切に、周りの人に感謝しつつ、良い人生にしたいなと思う。また、病状が変化したら、しっかり綴っていこうと思う。

診断としては、『右中大脳動脈狭窄症』となっている。母親からの遺伝の疑い。母親も示唆された「もやもや病」の可能性もある。まぁでも今出ている症状が軽症なので、すぐに治療ということではないが、悪化すれば手術した方が良い場合もあるそう。だましだまし、今ぐらいの症状で収まることを祈るばかり。ここ最近は手の痺れや痛みが増えてきて、ちょっと心配。まぁ治るわけではないので、それも仕方なし。日常生活を問題なく送れるように、脱水に気を付けるのみ。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。人生何があるかわかりませんね。お互い気を付けましょう。

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